それでもマスクをしないアメリカ人



先日、CDC(アメリカ疾病予防管理センター)が、マスクの着用とコロナウイルスの感染拡大に関するこれまでのガイドラインを覆しました

「マスクは医療従事者や病人がするもの、一般人には不要」としていたのが一転、6フィート(約2メートル)の社会的距離を維持できない公共の場所、例えば食料品店や薬局など、では布製のカバーを着用することを推奨する、という内容の発表でした。

CDCの発表をうけたトランプ大統領は記者発表で、「CDCは自発的な衛生対策として布を使って顔をカバーすることを勧める」と説明しました。
ところがさらに「これは任意だ。しかし自分はやらないと思う。」と付け加えたのです。

「ただ自分がしたくないだけだ... なんというか、大統領執務室のあの美しいレゾリュートデスク(注1)に座って...。フェイスマスクをして、大統領や首相や独裁者や国王や女王を出迎えるなんて... 自分のそんな姿を想像できないだけだ。もしかしたら考えが変わるかもしれないが」

 (注1)19世紀にイギリスのビクトリア女王からヘイズ大統領に送られたオーク材の机。遭難した英国北極探査船リゾリュート号を、米国が発見し、修理して英国へ変換したが、返礼にリゾリュート号の木材で製作した机を英国女王が贈呈。以後はホワイトハウスにて、歴代の大統領に愛用されている。

アメリカでは、以前から、そして新型ウイルスによる世界的パンデミックが始まった以降も、街でマスクをしている人をほとんど見かけませんでした。そもそも、日本で花粉症対策に使用されるようなマスクは市場に存在すらせず、「サージカルマスク」と呼ばれる手術用のマスクが、病院や歯医者など医療現場でのみ使われているような状況です。

日本ではあれほど一般的なマスクの着用が、どうしてアメリカではこれほど珍しいのでしょう?どうして多くのアメリカ人が、マスク着用に抵抗を感じているのでしょう?その理由を考えてみました。


1.マスクの着用に合理的な意味合いを見出せない。


何事も合理性を大事にするアメリカ人。
マスクの着用が浸透しないことの大きな理由の1つに、アメリカ人がマスクの着用に合理性を見出せないことが挙げられます。

多くのアメリカ人が「マスクには予防効果はない」と考えています。マスクは着用者の鼻や喉から出る液体をキャッチするためのもので、N95などの特殊なマスク以外、着用者が空気中の粒子を吸い込むことを防ぐ効果はない、つまり、マスクは他人を感染させないもので、自分を守ることはできない、というのが一般的な認識です。
日本では、満員電車など混雑した空間などでのマスク着用は、一定の予防効果があると言われています。しかし、アメリカ人はもともと他人との距離を広く取ろうとする傾向があり、親しい友人や家族以外との密着は避けます。日本のような過密空間がほとんどないので、より一層、マスクを着用することのメリットが感じられないのかもしれませんね。

「日本人は自分を守るためではなく、他人への配慮のためにマスクを着用している」という意見もよく耳にします。ならばアメリカ人が他人への配慮を欠いているのかと言えばそれはちょっと違うようです。
アメリカでは、子どもたちが小さい頃から家庭や学校で「ドラキュラみたいに咳をする」方法を繰り返し教えられます。咳やくしゃみを手でガードすると、病原菌が手に移り、ドアノブなどを介して他人に感染してしまいます。そのため、咳やくしゃみをするときは、手ではなく、ひじの内側で鼻と口を塞ぐことが推奨されるのです、そう、ドラキュラがマントで顔を隠すように。





またアメリカでは、「調子が悪い時は人と合わないこと」が、最も効果の高い感染防止策だと考えられています。そのため、日本人が「他人に病気をうつしたくないから、マスクをするのだ」と説明すると「他人を感染させてしまう可能性がある状態の時に、どうして外出するの?!」と驚かれてしまうのです。アメリカ人は一般的に、熱があるならば、症状の有無に関係なく伝染性があるので、他人にうつさないよう外出を避けるべきだと考えます。また、例え熱がなくても腹痛や疲労など、生産性が低下している場合は、無理して出社するより、家で回復に努めたほうが、よほど効率的だと彼らは考えるのです。


2.マスク着用が法律で禁止されている。


マスク着用が一般的でないことの大きな理由の1つに、マスク禁止法 Anti-Mask Law の存在があります。アメリカでは、マスクで顔を覆う行為が相手に不信感を与える場合があります。その心理的背景にあるのがこの法律の存在です。

アメリカでのマスク禁止法の歴史は、古くは170年前に遡ります。

小麦価格の上昇を理由に、ネイティブアメリカンの姿に変装して警察を攻撃していた小作農民への対処として、1845年のニューヨーク州で制定されたマスク禁止法。この法律では、2人以上が集まる会合での仮面の使用のほか、顔を覆って身元を隠したり、変装したりすることを禁じました。

その数年後、白人至上主義団体、クー・クラックス・クラン団への対抗策として、アラバマ州でも同様の法律が定められました。現在では、全米の各州にAnti-Mask Lawがあり、ハロウィンなどの祭日や、スポーツなどの理由を除いて、公共の場でのマスク着用が禁じられています。

もちろん、健康の理由による医療用マスクの着用は法律の適応外ですが、それでも、顔を覆う行為が反社会的行為を連想させるのは、アメリカでは一般的な感覚かもしれません。(ちなみに、ドイツ、スペイン、フランスのほか、多くの国でこの種の法律が存在しています。)



3.マスクで笑顔が見えなくなると困る。


アメリカ人がいかに笑顔を重視しているかを表した、こんなジョークがあります。

通りすがりの知らない人があなたに微笑みかけてきました。
a. あなたは彼が酔っていると思う
b. 彼は正気ではないと思う
c. 彼はアメリカ人だ!

アメリカ人は、通りで知らない人とすれ違う時、しっかりとアイコンタクトをとり、相手に微笑みかけます。(日本人の私は、今でもなんとなく気恥ずかしくて目をそらしたくなります) 写真を取るときは、口角をあげて、歯を見せて満面の笑みを見せます。集合写真で笑っていない人がいると、何度でも取り直すほどです。美しい笑顔のために、年間何千ドルものお金を審美歯科に費やす人も珍しくありません。

アメリカ人にとって笑顔は、幸せや自信を表し、相手に対する礼儀正しさの象徴でもあります。一方、笑顔に対して異なる印象を持つ国も少なくありません。日本やインド、韓国では、笑顔は相手に「不真面目」な印象与えることがあります。ロシア人とって、面白くもないのに笑顔を見せることは、「偽善」や「腹黒い」偽善的嘲笑として捉えられます。

アメリカでは、なぜ他国に比べてこれほど「笑顔」が重要視されるのでしょう?
その理由の1つとして、アメリカの人種的多様性に富んだ歴史が挙げられます。移民が多く、異なる言語と文化を持ったコミュニティでは、長い間非言語的コミュニケーションに依存せざるを得ませんでした。笑顔は、共通言語がない相手との間に信頼と協力を築くための、貴重なコミュニケーション手段だったのです。

英語という共通言語が浸透している現代でも、笑顔はアメリカ人にとってもっともベーシックな意思疎通の方法であることは変わりません。アメリカ人にとって、マスクで口元を隠すことは、彼らの重要なコミュニケーション手段である「笑顔」を奪われる行為に他ならないのです。


・・・


2015年、エボラ出血熱が大流行していたリベリアで、非常にユニークな活動を行ったアーティストがいます。メアリー・へファーナンは、エボラ出血熱の治療にあたる医療スタッフの防護服姿に着目しました。アヒルのくちばしのようなサージカルマスク、色付きグラスのゴーグル、その姿はまるで宇宙人のようで、致死率の高い感染症に感染した患者に、さらなる恐怖感を与えていました。彼らの不安を少しでも和らげようと、へファーナンは医療スタッフがにこやかに笑っている素顔の写真を撮影し、各自の防護服に貼り付けてもらったのです。
「防護服プロジェクト」と名付けられたこの活動は、家族から隔離され、個人として認識できない医療ケアスタッフに囲まれ、非人道的で孤独な立場に置かれている患者にとって、ひとつの救いとなりました。また、患者が医療従事者に対して感じていた恐怖感を和らげ、患者とスタッフのつながりを深めることは、治療の過程で大きな助けとなりました。




マスクは、全身を覆う防護服ほど、人間を人間らしく見せなくなることはありません。けれども、表情が見えにくくなることで、人と人との間の心理的な距離を広げてしまうことは確かです。新型コロナウイルスのパンデミックが長期化し、ただでさえ地理的な分断が進む中、人と人との心のつながりがりまで断たれかねません。
そう考えると、多くのアメリカ人がマスク着用に抵抗を持つことも理解できるような気がします。いっそマスクにスマイルマークを書いてみてはもいいかもしれませんね。




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